モハメド・アリ
アメリカ合衆国のケンタッキー州ルイビル出身。身長190cm。リーチ203cm。本名はカシアス・マーセラス・クレイ・ジュニア(Cassius Marcellus Clay Jr.)であったが、後にイスラム教へ改宗したのを機に「モハメド・アリ」へ改名した。アマチュアボクサーとしてボクシングを始め、1960年のローマオリンピック・ライトヘビー級金メダリスト。プロに転向するや無敗でヘビー級タイトルを獲得。その後は3度タイトル奪取に成功し通算19度の防衛を果たした。
大男たちが力任せに殴り合いをしていたヘビー級に華麗なフットワークと鋭い左ジャブを活用するアウトボクシングを持ち込んだアリのボクシングスタイルは、「
蝶のように舞い、蜂のように刺す(Float like a butterfly, sting like a bee)」と形容された。
リングを縦横無尽に動き回れる体のこなしだけでなく、ジャブに右ストレートでカウンターを合わせる離れ業をやってのけるパンチのスピードも持っていた。マイク・タイソンが出現した現代においてもなお、
ヘビー級史上最速との見方がある。
タイトル剥奪後、ジョー・フレージャーに挑戦、初めての敗北を喫したが、3年後、フレージャーにかわり新王者となっていたジョージ・フォアマンに鮮やかなKO勝ちをおさめ、王者に返り咲いた。 この挑戦試合はアフリカのザイールで行われ、"
Rumble in the jungle"というタイトルがつけられていた。
当時、一般には全盛を過ぎたと見られていたアリが史上最高のハードパンチャーと目されたフォアマンを破ったため、「
キンシャサの奇跡」とも呼ばれる。 この試合でアリはたくみに相手のパンチをかわし、空振りさせることでフォアマンの体力と精神を消耗させる一方、ロープを利用して自らの体力は温存するというクレバーな作戦をとり、見事な勝利をおさめた。アリはこの戦法を"
rope a dope"と名づけた。
ベトナム戦争への徴兵を拒否したことから無敗のままヘビー級タイトルを剥奪され、4年間試合を禁じられたが、復帰後、実力でタイトル奪還を果たした。また露骨な黒人差別を温存するアメリカ社会に批判的な言動を繰り返した。その後黒人解放運動などの貢献が称えられ、ドイツの平和賞「オットー・ハーン平和メダル」を受賞。
アリ、フレージャー、フォアマンはいずれもオリンピックの金メダリスト(アリはライトヘビー級、フレージャーとフォアマンはヘビー級の金メダリスト)であり、オリンピックチャンピオンがプロでも活躍するという流れがこの当時続いていた。アリと同様、ライトヘビー級で金メダルを獲得したスピンクスがアリに挑戦し、番狂わせでタイトルを獲得したが、アリは再戦で王座に返り咲き、
史上初めて、3度チャンピオンシップを獲得したヘビー級ボクサーとなった。
終生のライバルとなった、ジョー・フレージャーとは3度対戦して、2勝1敗であった。特に、"
Thriller in Manilla"と命名された3度目のフィリピンでの対戦は、両者死力を尽くし、形勢が何度も逆転した名試合であり、
ボクシング史上最高の試合の一つと言われている。
「私は蝶のように舞い、蜂のように刺す。奴には私の姿は見えない。見えない相手を打てるわけが無いだろう」(Float like a butterfly, sting like a bee. Your hands can't hit what your eyes can't see.)
「私は奴を寄せ付けない。リングで踊るんだ」
「不可能とは困難に立ち向かう事を諦めた人間、つまり臆病者が使う言葉だ」
「不可能という言葉は甘ったれの言い訳にすぎない」
「人間が困難に立ち向かう時、恐怖を抱くのは信頼が欠如しているからだ。私は私を信じる」(It's lack of faith that makes people afraid of meeting challenges, and I believe in myself.)
通算戦績:61戦56勝(37KO)5敗
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋
PR