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ボクシング大好きクラブα |
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史上最強の棋士については、将棋界・囲碁界で議論の絶えないところである。
将棋において最強候補は、最低でも数人はいる。どのような視点で見るかによって見解は異なり、1人に絞ることは不可能である。 例えば以下の棋士達はいずれも史上最強議論の常連である。
(上記のタイトル数は2008年7月現在)
宗英・宗歩に関しては現代の棋士に比べて知名度が圧倒的に劣るので議論になることは少ない。また日進月歩の定跡の進化の中で情報戦の様相を呈している現代将棋との棋譜からの比較は困難である。しかし天野宗歩は伝説的な棋士で、棋譜も多数残されている。当時の将棋界では傑出した実力者であったため、現存する棋譜は駒落ちの手合割のものが多いが、その実力は十分に窺うことが出来る。内藤國雄など現代の棋士の多くが宗歩の将棋を絶賛している。一方宗英も、「天野宗歩は強い。しかし一番強いのは宗英だ」と升田幸三がよく言っていたと伝えられるほどの存在である(なお宗英・宗歩と七世名人伊藤宗看を加えた三者は、「三英傑」とも呼ばれる)。
木村は名人になってから10年の間、平手で負けたのは一局のみ。当時の強さは驚異的で現在では考えられないほどの国民的ヒーローでもあった。今に残る木村定跡をはじめ将棋界のレベルの向上に大きく貢献し名人の権威を高めた。
升田は史上初の三冠を達成し、主に序盤の戦い方に革命をもたらし「将棋というゲームに寿命があるなら、その寿命を300年縮めた男」と評された。健康に問題があったこともあり、実績面では大山に大きく遅れをとってしまったが人気は高く、その現代的な感覚で今でもファンが多い。休場は多いものの1979年に引退するまでA級以上に連続31期とどまった。
実力制名人になった昭和以降で一番長期にわたって強さを発揮したのは疑いもなく大山である。当時は今よりはるかにタイトルや対局数が少ない時代でありながら(初タイトル獲得時は二冠しかなく、全盛期に入った1963年にようやく五冠になった)、通算獲得タイトル数80期、棋戦優勝124回、通算勝数1433勝は現在に至るまで歴代1位。名人位18期、同一タイトル通算獲得20期(王将)をはじめすべてのタイトルで満遍なく強さを発揮した。全盛期の強さはまさに圧倒的で全冠(三、四、五冠)をとった期間も長い。1959年から66年にかけて全冠でなかったのは2期のみである。59年から71年までのタイトル戦68期のうち8割を越す56期を獲得している。72年無冠になったがその後も長くタイトルを争い59歳までタイトルを保持し(王将戦)、66歳になってもタイトルに挑戦(棋王戦)し、69歳で死去するまで連続45年44期A級に居続けた。羽生も著作『決断力』で「将棋史上最強の棋士が十五世名人の大山康晴先生であることは、誰もが認めるであろう。」と語っている。
中原は大山より24歳ほど年下であるが直接対決では(ピークを過ぎていたとはいえ)大山を圧倒した点は光る(中原107-55大山)。1968年には歴代1位となる年度最高勝率.855を達成し10年連続で勝率7割を超えた。2007年9月には史上二人目となる通算1300勝を達成している。獲得タイトル数64は大山、羽生に次いで歴代三位であるが全冠は達成していない。
現在もタイトル数を増やしており特に熱い期待がもたれているのは羽生である。1996年2月から7月まで史上初となる七冠を独占した。現時点までの獲得タイトル数は70期(2008年7月現在)で歴代2位。また同一タイトル(王座位)を16期連続して保持している(歴代1位)。獲得賞金も10年連続通算14回首位を保持しており(2007年分まで)今後どこまで記録を伸ばせるか注目されている。
・ど素人の僕から見れば、羽生さんが最強だと思っていましたが、他にもこんな凄い人がたくさんいたとは・・・
最強が誰かなんて選ぶの難しいっす!!