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熱しやすく、冷めやすい、多趣味人間の書く多ジャンルブログです。 私的エトセトラ系列の総本山!!(過去に色々なブログで書いた、お気に入り過去記事を不定期にこのブログにアップしていきたいと思います。) その他に、「カテゴリー」→「掲示板」にて2ちゃんねる型掲示板もやっています。気軽に書き込みお願いいたします。 ドシドシコメント、トラックバックお寄せください!! ブログランキングご協力お願いいたします。 漫画、格闘技、音楽、ゲーム、映画、アニメ、テレビ 、本、スポーツ、動画、ランキング、私的あれこれなどなど書いていきます!!! 現在、特にボクシング、XBOX360(特にキャッスルクラッシャーズ、テイルズオブヴェスぺリア、アンリアルトーナメント3)、将棋、もやしもんにハマッております!!! ボクシング界は今、世界では「ライト級」日本では「スーパーバンタム級」が一番熱い!!(私的見解) 当ブログ全読制覇!!! よろしくお願いいたします!! (管理人名:「さかつ37」で統一!!) 2009.2.21
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ロイ・ジョーンズ・ジュニアRoy Jones, Jr.、1969年1月16日 - )は、アメリカ合衆国の男性プロボクサー。フロリダ州ペンサコーラ出身。ミドル級出身でヘビー級の王座を獲得した史上2人目の選手。ミドル級、スーパーミドル級、ライトヘビー級、ヘビー級の4階級を制覇した。パウンド・フォー・パウンドと目されていた。

ボクシング史上最高の身体能力の持ち主と評され、スピード、パワー、テクニックともに最高水準。
「スタイルがないのがスタイル」と言われる通り相手に合わせて自由自在に戦法を変えることが出来、スピードはフロイド・メイウェザー・ジュニアがパウンド・フォー・パウンドと目された現在においても史上最高との評価が高い。


 

  • 1989年5月7日、プロデビュー。
  • 1992年12月5日、パーシー・ハリスを4RKOで下し、WBCアメリカ大陸スーパーミドル級王座獲得。
  • 1993年5月22日、バーナード・ホプキンスを12R判定で下し、IBF世界ミドル級王座獲得。
  • 1994年11月18日、ジェームス・トニーを12R判定で下し、IBF世界スーパーミドル級王座獲得。2階級制覇を果たした。
  • 1996年11月22日、WBC世界ライトヘビー級王座決定戦でマイク・マッカラムを12R判定で下し、WBC世界ライトヘビー級王座獲得。
  • 1997年3月21日、WBC世界ライトヘビー級王座初防衛戦でモンテル・グリフィンと対戦。9Rグリフィンがダウンしたところに攻撃してしまったために失格負けとなり、王座陥落とともにプロキャリア初黒星となった。
  • 1997年8月7日、モンテル・グリフィンと再戦。1RKOで下し、WBC世界ライトヘビー級王座を奪回。
  • 2003年3月1日、ジョン・ルイスを12R判定で下し、WBA世界ヘビー級王座奪取。ボブ・フィッシモンズから106年振りとなるミドル級出身者によるヘビー級世界王座獲得の偉業を成し遂げる。
  • 2004年5月15日、アントニオ・ターバーにまさかの2回TKO負けを喫する。続く2004年9月25日にも、グレン・ジョンソンに9回KO負け。2005年10月1日、ターバーとラバーマッチとなったが、0-3の判定で敗北。この頃急激に負けが込んだ理由として、(ボクシングキャリアとして)短い期間にライトヘビー→ヘビー→ライトヘビーと階級の急激な上下を繰り返しており、体調管理の難しさのほかに一度付けた筋肉を落として減量せざるを得なかったことで本来持っていたスピードやパワーに狂いが生じたことがあげられている。評論家の中には、結果的にヘビー級挑戦が彼のキャリアの凋落の原因となったという者もいる。
  • 引退かと思われたが、2006年7月29日のプリンス・バディ・アジャム戦に3-0の判定勝ち。
  • 2008年1月19日、フェリックス・トリニダードと対戦。随所に往年の動きを見せ7Rと10Rに2度のダウンを奪い、3-0の判定勝ち。
  • 2008年11月8日、英国のジョー・カルザゲと対戦し大差の0-3の判定負け。1Rにダウンを奪うシーンを見せたものの、それ以外はまったくいいところがなく完封負けしてしまった。

・「天才」の中の「天才」

正直「天才」すら安っぽく聞こえてしまう・・・それほどまでの能力を持ったボクサー。
(現在は、その能力が著しく低下??してしまい、全盛期の動きとは程遠く、全盛期の動きを知っているものとして観ていて、とても切なくなる。)
ミドル級、スーパーミドル級、ライトヘビー級、ヘビー級の4階級を制覇した、ミスターパウンド・フォー・パウンド。

この動画を観てもらいたい!!
ロイ・ジョーンズの魅力と凄さがたっぷりと詰め込まれた動画(ニコニコ動画)



かっこよすぎ!!
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羽生善治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より一部抜粋

photo11.jpg

羽生善治(はぶ よしはる、1970年9月27日 - )は、将棋棋士。現在、4冠(名人、棋聖、王座、王将)。通算タイトル獲得数は歴代2位で、6つの永世称号(永世名人(十九世名人有資格者)・永世棋聖・永世王位・名誉王座・永世棋王・永世王将)を保持している。永世竜王獲得もあと1期と迫っている。二上達也九段門下であり、棋士番号175である。数々の実績から将棋史上最強格の棋士の一人に挙げられる。羽生と同世代の棋士にはトップクラスの実力者が多く、「羽生世代」と称されている。


デビュー、そしてスターダムへ

デビュー直後の1986年度に、全棋士中で1位となる勝率(0.741)を記録し、将棋大賞の新人賞を受賞する。

羽生に追随してデビューしてきた同年代の強豪棋士達とともに、いわゆる「チャイルドブランド[6]と呼ばれる新世代のグループを形成し、羽生は、その代表的存在として勝ち進む。

羽生を一気にスターダムへ押し上げることになったのは、五段時代の1988年度のNHK杯戦である。大山康晴加藤一二三谷川浩司(準決勝)、中原誠(決勝)と、4人の名人経験者を立て続けに下して優勝。まるで作ったかのような舞台設定で、これは多くの将棋ファンに対して羽生という棋士の存在を強烈に印象付けた。特に対加藤戦で放った▲5二銀は非常に有名であり、解説役で出演していた米長邦雄も驚嘆していた[7]。同年度は対局数、勝利数、勝率、連勝の記録4部門を独占(80局、64勝、0.800、18連勝)。4部門独占は、その後も他の棋士が達成していない大記録であり、また、将棋大賞最優秀棋士賞を史上最年少(18歳)で受賞した。無冠の棋士が受賞したのも、史上初である。

1989年、タイトル戦初登場となる第2期竜王戦で初代竜王島朗から奪取し、史上最年少タイトル記録(当時)となる19歳2か月で竜王位に就く[8]。この年度は、先手番での勝率が9割を超えた[9]

翌年11月に谷川に敗れ、無冠の「前竜王」という肩書きになるが、3か月後の1991年2月の棋王戦南芳一から3-0でタイトルを奪取し、それ以降は無冠となったことがなく(2008年12月現在)、また、肩書きとして段位を名乗ったのは竜王戦挑戦時の六段が最後である。

七冠独占への道

1992年度、王座福崎文吾から奪取して、ここから長い王座戦連覇が始まる[10]。竜王にも復位し、自身初の三冠となる。

1993年度、棋聖王位を奪取して、五冠となるが、竜王佐藤康光に奪われ四冠に後退する。

1994年度には、前年に史上最年長名人の記録を達成した米長邦雄から、名人位を奪取し、さらには竜王を佐藤から奪還して史上初の六冠王となる。残るタイトルは、王将ただ1つとなったが、王将リーグは5勝1敗で郷田と並んで終え、プレーオフに勝利して王将挑戦権を獲得する。

そして、1995年1月からの第44期王将戦で、全冠制覇をかけて谷川王将に挑むことになる。

王将戦七番勝負はフルセットの戦いとなり、その間、同時進行していた棋王戦五番勝負では3-0のストレート勝ちで早々と防衛を決めていた。

王将戦最終第7局では、千日手指し直し[11]の末、敗退。谷川によって、史上初の全冠制覇を目前で阻止された[12]。この第7局の2日目当日(1995年3月24日)、対局場である青森県奥入瀬のホテルには、将棋界の取材としては異例の数の報道陣が大挙して詰めかけていた。対局終了後、カメラや質問が主に敗者に向けられたというのも、異例のことであった。

しかし、それから1年間、羽生は全てのタイトルを防衛する。なお、これらの防衛戦の間に通算タイトル獲得数が谷川の20期(当時)を超え、大山、中原に次ぐ歴代3位となっている。

さらに、第45期王将リーグも5勝1敗の1位で抜けて、谷川王将に2年連続挑戦し、ついに1996年2月14日、4-0のストレートで王将を奪取し、七冠独占の偉業を成し遂げた。タイトルが7つになってからの全冠制覇は史上初の快挙で、翌日の新聞の一面を飾ったり、終局直後に生中継によるニュース速報が行われるなど、棋界にとどまらず社会全体で大々的に採り上げられた。直後に棋王戦防衛にも成功(相手は高橋道雄)したので、年度の全7タイトル制覇も達成したことになる。この年度は、テレビ棋戦のNHK杯早指し将棋選手権でも優勝したので「九冠」とも言われた。しかも、年度勝率は、タイトル戦続きで強豪との対局がほとんどであったにもかかわらず0.8364(歴代2位)という驚異的な数字であった[13]

七冠王として迎えた新年度(1996年度)の最初のタイトル戦は、小学生時代からのライバル・森内俊之との初のタイトル戦となる名人戦であった。この七番勝負は4-1で防衛に成功し、内容的にも、両者、力を出し合った名局揃いという評価を受ける。

次の防衛戦は、2年連続で三浦弘行[14]を挑戦者に迎えた第67期棋聖戦であった。フルセットの戦いの末、三浦に2-3で敗れ、全冠独占は167日(1996年2月14日-7月30日)で幕を降ろした[15]

七冠以後

三浦から棋聖位を奪われたのと同年の第9期竜王戦と、翌1997年第55期名人戦の2つのビッグタイトル戦で、いずれも谷川にタイトルを奪われ、四冠に後退[16]。1997年度は、NHK杯決勝で村山聖に勝って4度目の優勝をしたが、これが二人の最後の対局となった(約5ヵ月後の1998年8月8日に村山が死去)。

2003年度の竜王戦王将戦、そして2004年名人戦で、いずれも森内に立て続けにタイトルを奪われ、永世竜王・永世名人資格獲得を逸する[17]ばかりか、羽生のタイトルは王座の一冠のみとなった。羽生が一冠のみとなるのは11年9か月ぶりのことである。この時点で、棋界の構図は、森内竜王名人王将と合わせて三冠)、谷川王位棋王(=二冠)、佐藤(康)棋聖、羽生王座となり、この瞬間、羽生は棋界最強の座を奪われただけでなく無冠の危機さえ迎えたかに見えた。しかし、その2004年度中に王位を奪還し、王座一冠の時期は89日で終わる(2004年6月11日 - 2004年9月8日)。さらに2004年度中に王将棋王を奪還して四冠となり、あっという間に再び7タイトルの過半数を占める。

2005年度、王座戦で14連覇を果たし、1959年~1971年にかけて大山康晴名人戦で樹立した同一タイトル連覇記録13連覇を抜く[18]

2005年度のA級順位戦では8勝1敗の成績だったにもかかわらず谷川とのプレーオフとなり、結果敗れて名人挑戦を逃した。8勝して名人挑戦できなかったのは唯一のケースである。なお、このプレーオフの一局は結果的に「詰ましにいって詰まなかった」ものだったが、内容は高く評価され、第34回将棋大賞で創設されたばかりの「名局賞」を、谷川とともに受賞している。

2006年度、王座防衛の時点で通算タイトル獲得数を65期とし、中原誠(通算64期)を抜いて歴代単独2位となる。

2007年、深浦康市に王位を奪取されるが、最終第七局の終盤戦の内容が評価され、2年連続で将棋大賞の名局賞を受賞する。

2007年12月20日、最年少、最速、最高勝率で史上8人目の通算1000勝特別将棋栄誉賞)を達成[19]

2008年2月28日、史上2人目の棋戦優勝100回(タイトル獲得68期、一般棋戦優勝32回)を達成[20]

2008年6月17日、第66期名人戦第6局で森内俊之名人を破り、名人位と三冠に復帰。通算5期獲得により十九世名人の資格を得るとともに、史上初の永世六冠(永世名人、永世棋聖、永世王位、名誉王座、永世棋王、永世王将)を達成[21]

その2日後の2008年6月19日、第49期王位戦挑戦者決定戦で橋本崇載を破って深浦へのリターンマッチの権利を得、タイトル4連続挑戦(棋王、名人、棋聖、王位)[22]

2008年12月18日、第21期竜王戦における渡辺明との七番勝負は、どちらが勝っても初代永世竜王となる戦いとして注目を集めたが敗退し、一気の永世七冠達成はならなかった。3連勝4連敗であったが、これは将棋史上初のことである[23]
 
棋風

大山康晴の力強い受け、中原誠の自然流の攻め、加藤一二三の重厚な攻め、谷川浩司の光速の寄せ、米長邦雄の泥沼流の指し回し、佐藤康光の緻密流の攻め、森内俊之の鉄板流の受け、といった歴代名人の長所を状況に応じて指し手に反映させることが出来ることから、「歴代名人の長所をすべて兼ね備えた男」とも評される。 

 昇段履歴
 

  • 1982年12月2日 - 6級で奨励会入会
  • 1983年2月3日 - 5級 (9勝3敗)
  • 1983年3月28日 - 4級 (6連勝)
  • 1983年5月11日 - 3級 (6連勝)
  • 1983年7月7日 - 2級 (6連勝)
  • 1983年8月24日 - 1級 (6連勝)
  • 1984年1月11日 - 初段 (12勝4敗)
  • 1984年9月10日 - 二段 (14勝5敗)
  • 1985年4月25日 - 三段 (12勝4敗)
  • 1985年12月18日 - 四段 (13勝4敗)[44] = プロ入り
  • 1988年4月1日 - 五段 (順位戦C級1組昇級)
  • 1989年10月1日 - 六段 (竜王挑戦)
  • 1990年10月1日 - 七段 (前年の竜王位獲得による[45]
  • 1993年4月1日 - 八段 (順位戦A級昇級)
  • 1994年4月1日 - 九段 (タイトル3期・・・八段昇段前にタイトル3期は達成していたが、1年以内の飛び昇段ができない規定のため)
主な成績

在籍クラス

  • 第22期竜王戦(2008年秋~2009年秋) 1組
    1組以上通算19期(第3~4, 6~22期)
  • 第67期順位戦(2008年度) 名人在位(第66期名人獲得)
    A級以上通算16期(第52~67期)


記録(歴代1位のもの)

  • タイトル関連
    • 最高同時タイトル - 七冠(1996年2月14日-1996年7月30日)
    • 同一タイトル連続保持 - 17期(王座1992年 - 2008年)※継続中
    • 最多永世位獲得-永世六冠(永世名人、永世棋聖、永世王位、名誉王座、永世棋王、永世王将)(2008年6月17日現在)
    • タイトル戦7番勝負で史上初の序盤3連勝しながらの、タイトル獲得失敗(2008年12月18日-第21期竜王戦7局)
  • 将棋大賞関連
    • 最年少最優秀棋士賞 - 18歳(1988年)
    • 最多最優秀棋士賞(15回)
    • 年度記録4部門賞独占(1988、1989、1992、2000年度) - 羽生以外の棋士は一度も達成していない
    • 年度最多対局 - 89局(2000年度)
    • 年度最多勝利 - 68勝(2000年度)
  • 高記録達成回数
    • 年度勝数60勝以上 - 4回[46](1988年(64)、1992年(61)、2000年(68)、2004年(60))
    • 年度勝率8割以上 - 3回(1987年(.820)、1988年(.800)、1995年(.836))
  • 通算勝数関連
    • 1000勝所要年月最速 - 22年0か月
    • 最年少1000勝 - 37歳2か月23日
    • 1000勝時最高勝率 - .7283
    • なお、通算600勝・800勝到達も最速・最年少・最高勝率記録を保持している。
  • 賞金関連
  • 珍記録
    • 最年少竜王戦1組降級 - 20歳11か月23日(1991年9月20日)
    • タイトルホルダーでの最年少竜王戦1組降級(当時棋王) - 20歳11か月23日(1991年9月20日)

その他表彰

・昨日の「情熱大陸」見ました。 単純にかっこいいと思いました。

 

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